生まれた時から肌が弱く、アトピー性皮膚炎
おまけに食も細く、第一子である私は母親に追いかけてまでご飯を食べさせられていたらしい。
私にとっては『普通』に生きていたのですが、今、振り返ると体のスペックがとても低かったんだなと思います。
まずは私の幼少期の体のスペックの紹介です。
皮膚の状態
幼少期の写真はほっぺが真っ赤で写っていて、基本的に乾燥肌。
首、腕、お腹、膝の裏の皮膚がボロボロだった。
かゆいかゆいといつも首や腕をかきむしっていた。
冬になると、口の横、目の淵、耳たぶの下、鼻の下が切れて痛い。
もぅ来年には耳とか取れちゃうんじゃないかな?とちょっと呑気だけどそんな風にも思っていた。
他の部位もカサカサしている。すべすべの皮膚が遥か遠い存在になっていた。
寝る時が一番かゆいので、ステロイドを塗って包帯をぐるぐる巻きにしたけれど、やっぱり痒くて掻きむしり朝になると包帯が取れないのだ。
わかるだろうか?描きむしっったおかげで体液が出てそれが包帯とくっついてしまうのだ。
それを剥がすとまた血が出る・・・そしてそれが刺激となって痒みが増す・・・・
だから、不恰好だけれど、包帯を切って腕に包帯の一部をつけたまま小学校へ行っていました。。。。
結構ホラーです。
呼吸の状態
基本的に走ることは無理でした。うまく呼吸が出来ず、苦しくなってしまっていました。
冬の持久走は完走してもダントツの学年ビリ。
走るっていうか、もぅなだれ込む感じだし、私がゴールしないと終われないからなのか、とにかく声援が痛い。
少し走ると咳が出て、止まらなくなるのが常。
これは、大人になってもその気があり、、、、、
体感的に、アトピーあると呼吸器系も弱いなって思っていた。
姿勢
猫背、ガニ股、三段腹
もぅ説明する必要はないと思うけど、この3点はずっと友達
姿勢が悪くて、骨盤も後傾していました。
骨盤も歪んでいるからタイトスカートはもれなくくるくる回っていたし・・・
幼少期からずっとずっと継続されている姿勢の悪さ。
筋肉のなさ。
今ならわかる。正しい骨の位置があってこその筋肉なんだよね。
正しくない骨の位置に、誤って筋肉がくっついてしまっているアンバランスな体をしておりました。
機嫌
これは、よく覚えているのだけれど、夕方の私には注意が必要で。
いつも家族でどこかへ遊びに行って楽しく過ごしても夕方になると駄々をこね始めて怒り出す
うまく気持ちを伝えられないから泣いていたりもした。
とにかく気分のアップダウンが激しくて、多分子育ては大変だったと思う。
学校では思いっきりいい子を演じてるから、家に帰るとじゃじゃ馬的な感じで暴れ出す。
これもちょうど帰宅が夕方だったからなんだけど、
小学生の時は帰ったら母親がクッキーとかケーキとかスイートポテトとか焼いててくれてそれを食べている時はごきげんだったのは今でもよく覚えている。
でも外出先はそうはいかない。いつもぷんぷん怒っていた。
これらは小学生の頃の話。
私の記憶にあるのはこんな感じ。
泣き虫
よく泣いていた。怒って気持ちが伝わらなくて泣くこともあったけれど、
とにかくよく泣いていた。
これは高校生になっても顕著だった。いや社会人でもか?
感情のコントロールが下手くそで、それで泣いたりもしていたけど、
映画の予告で泣くこともあった。
たった数秒の予告でも泣くことができる。
特技かと思っていたが、そんなことなかった
そんな私が大変身!
というと大袈裟かもしれないけれど、大体は改善したし、絶賛改善中のものもある。
ポパイじゃないから、一瞬とか1夜にして大変身!はできないけど、でも確実に変われる。
体質や性格は変えられるんだよね。
それを本当に実感しています。
今ならわかること
後からわかったことだけど、栄養がこんなにも関係していたなんて、驚きを隠せない。
そして、何でこんなにずっと『健康』に興味があるのか不思議だった。
高校1年生の文集を作った時、私は「みんな健康でよかった」みたいなことを書いていた。
今なら、わかる。
一見、私は健康そうだし、そう見られてきたけど、
身体の中はボロボロだった。
スペックはめちゃ低いのに必死に頑張って生きていたんだ。
いろんなことを試して、自分なりに回答を見出して、そしてやりたいことをやっていたら分子栄養学に出会ってこれまでの体調不良の謎が解けたのだ。
身体は乗り物。
だからメンテナンスしてあげたい
そして『食べているもので私たちはできている』
これをすごく感じているし、今の私に必要なものをあげることでやりたいことができる豊かなで幸せに生きられる
そんなことを強く思う。
これからあと40年をもっと楽しむために、もっと感じるために私は土台を磨いて行くのよ