メルマガ受付中!             ごきげんいかが?   

「本当にしたいことをする」までの葛藤

  • URLをコピーしました!

シンプルなタイトルをつけたけど、
奥が深い。

これは、私の”本当”がなんなのかが明らかになった出来事でもあるし
本当の大人になったとも思っている出来事なのです。
私って、自分の意見があるようで実は親の影響を受けまくりだったの。
昔からそうだった。
ピアスの穴を1つ開けるにしても、親の顔色を常に伺っていたの。
将来の進路もそう、薬剤師を選んだのも私の意志というよりは親の基準だった。
実は会社もそうだった。
私の意見、希望というよりも親のが中心だった。
だから親の意見に大人になっても左右されてて、何にも決められない子だなって自分でも思うところはあった。
親がいいと許可した檻の中で私が選んでいるという感じ。
そんな私が、自分自身の誕生日会を開催するという前代未聞なことをしようとした時のこと
この時の葛藤は今でも覚えています。


29歳のあれは3月4月ごろ 私は突然、思いついたのですよ。
8月にある、自身の待ち望んでいた30歳の誕生日会を自主開催したい!って。
みんなに感謝を伝えたいって。
この企画自体にも内容自体にもアイディアが飛び出してきてて、
私はワクワクしっぱなしだった。
しかもみんなにはサプライズしたいから内緒にしておきたいから尚更、自分の中でのワクワクパワーが増幅していてね
爆発しそうだったの。

たまたま帰省した時に、ワクワクが漏れちゃったんですよ。
つまりこのアイディアを母親に話したのです。

「めっちゃ良くない?楽しそうじゃない?最高でしょう〜!!!」って

そしたら、母親が一言。



『あゆちゃん、それは芸能人がやることでしょ。あなたは一般人なんだから、やめなさい』



えええええ!!!!????




共感してくれると思っていたから、雷に打たれたかのような衝撃が走った。

言わなきゃよかった・・・・(後悔


そして、思った。

そうか、私、観月ありさじゃなかったわ。って。

普通の人だからできないんだ・・・・

ダメなんだ・・・・

って。。。。。。



もぅ、自分が観月ありさじゃないってことなのか、このアイディアは突飛押しもないことでこんな考えすら持ってはいけなかったんだという何かわからないけど、喪失感というか絶望感だった。


私は、このアイディアは実行できない。
むしろ恥ずかしいことなんだ。

と、すごく、すごくショックを受けた。

あんなにワクワクしていた最高潮のエネルギー値にいたのに、一気に真暗闇に突き落とされた感じだった。
天国から地獄ってまさにこのことだった。


だからそれから2ヶ月5月6月は暗黒時代を過ごしていた。
仕事にも身が入らず、生活にもハリがでず、もはや廃人のような心が鉛のようだった。


だから何をやっても楽しくなかった。
そもそも私自身が苦しかったのです。


この苦しさの原因は何か、、、、


苦しさの原因とは、できない、してはならぬと言われた誕生日会だった。
これがネックだったんだ。
できないことが苦しい。
本当に苦しかったんだ。

だって私は開催したいって思ったんだもん。。。。



そして私は、考えてみた。


確かに私は観月ありさじゃないけれど、
観月ありさじゃないと誕生日会ができないわけじゃないよね?
観月ありさじゃなくても誕生日会やってもいいよね?って。

しかもこれは私の人生なんだ!

誰に迷惑がかかるわけでもない。

恥じることでもなんでもない。

むしろいつもは小っ恥ずかしくて伝えられないけど、これを機に親にも感謝を伝えたいって思ってるわけだし、

いいじゃん!

やっぱりやろう!

って意を決したわけです。



そこからの誕生日開催までの1ヶ月はとても大忙し。
でも、やりたい!って気持ちを形にできて嬉しい忙しさでした。

あの天国からの地獄を見たドラマチックな展開が半年にわたって繰り広げられていました。


今思えば、この誕生日会は、親の影響受けまくりの私が、その親からの独立記念日 になったと思っています。
そう、人は20歳になったら成人と言われてますけど、
私はそこから10年かかりました。
でも、私は私の人生を創るって決めて、それを実行できたことを本当に誇りに思っているのです。


で、このパーティをやってみてどうだったか知りたいでしょう?
続きはこちらです


この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!